七夕の夜に 〜あかねversion〜


いつものように、高欄に頬杖ついて空を眺めていた。
昨日も同じこの時刻に夫と二人で空を見上げた。
漆黒の空に控え目に姿を見せた月は、まだ生まれて三日目の右弦の若月。その光は余りにも覚束ないものだった。
だからこそ煌く星空を期待して約束をした。なのに…。
「なんで今日に限って…。」
ため息とともに零れた声は誰に向けてのものだったのか?

最愛の人は今日、左大臣様の随行が急に彼に回ってきた所為で、ここ土御門にはいない。
そして月も厚い雲間に隠れてその姿を現さない。
「お仕事なんだから仕方ないよね。」
ひとりごちる呟きが切なく夜闇に溶けてゆく。
―――今日は七夕。
分厚い雲に覆われた空からは、月どころか、星の煌きさえも見えない。
月の光が弱いほうが、天空の恋人たちの逢瀬がよく見えると、今夜を心待ちにしていた。
昨日の夜空からは、今夜の天気は予想できなかった。

せめて雲間が途切れてくれれば。彼もきっとこの黒い空を眺めてくれているだろうから。

同じ時をあなたと並んで歩んでいきたいと、それだけを願いこの地にひとり残った。

彼は、とにかく信じられないくらい不器用で真面目で、おまけに融通がきかなくて…。
そんな彼の態度に、どれほどやきもきし、幾度挫けそうになったただろうか?
でもそんな彼だからこそ、どうしようもなく惹かれた。
ただひたすらに、私を護るその背中を堪らなく愛しく思ったのは、あまりに自然な心の発露だった。

同時に、護られているという喜びは、彼を護りたいという想いに姿を変えた。
傷ついてほしくなくて、生きることを諦めないでほしくて、闇の中で蹲ったままの彼の心にそっと触れた。
十年もの長い時をかけて培われた彼の頑なな心は、なかなか手強かったけれど…。
白く映える桜の花の舞い散る里で、夕日に燃えた京の町が一望できる山の頂で。
それはまるで春、固い根雪がようやく溶け出すように、彼の心は固い覆いを一枚一枚ゆっくりと剥いでいった。
誰も見ることのなかったあなたの笑顔を初めて見たその瞬間、私の心は決まった。



何もかもを捨てることに未練がなかったわけじゃないけれど、あなたを失う怖さを思えば、両親の笑顔も、文明の利器の便利さも、やわらかなベッドも、友人と語らう楽しい時間も、お気に入りだったファーストフード店のハンバーガーの味も。何を思い出しても、私の決意が揺らぐことはなかった。

あなたにはいつだって笑っていてほしい。私がいることでその笑顔が永遠に失われることがないのなら、あなたが私を身を挺して護ってくれたように、私はこの心であなたを温めて護ってあげるから。

ねぇ、頼久さん。
今は何も見えないこの漆黒の空だけど、年に一度の遙か天空の恋人達の逢瀬を、私と同じようにあなたも見守ってるって信じてる。
大好きな、大好きな頼久さん。
今年は一緒に七夕を祝うことはできなかったけれど、これからはずっと二人で夜空を眺めていこう。
あなたのために始めたお裁縫。もっともっと上手になるように、たくさんたくさんお祈りもしたの。
ずっとそばにいるから、ね。ずっとず~っと。あなたのそばにいるから。

帰ってくるのはきっと、白々と夜が明けるころ。
梅花の薫るあなたの単衣を抱きしめて一人褥で眠る私の寝顔を、やさしげに見つめるあなたの笑顔が目に浮かぶ。
目覚めるのなら、あなたの腕の中、そして熱い口付けがいい。そう、いつものように。
それが私の七夕の願い事。
ねぇ、叶えてくれるでしょ?頼久さん。




一日遅れの七夕です。
あかねちゃん一人称で書いてみました。
平安の世、七夕は、乞巧奠(きっこうでん)っていうお裁縫やら和歌やらの上達を願う節供で、宮中やら貴族のお屋敷では宴が催されたそうです。
その宴に左大臣さんが召されていて、違う人が警護に当たるはずだったのに、なぜか頼久さんが連れて行かれた…という、寂しい一夜が設定なんですが。
うちのあかねちゃんの、頼さん好き度がわかっていただけたら、それで良しです。


拙作にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。


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