南向きの大きな窓から温かな日差しが差し込む午後のお茶の時間。
小夜は数日前に買ってきた雑誌に向けていた視線をゆっくりと最愛の人に移した。
迎えてくれる眼差しは、優しく心地よく心を撫でてゆく。
「ねぇ、ハジ。」
「なんでしょう、小夜。」
いつのころからか続く二人の会話の始まり。互いの名を呼びあう声音には溢れるばかりの愛しさに満ちて…。
「あのね、ハジ、オランダに行ったことある?私、行ってみたいの。」
「オランダですか?いいえ、まだ行ったことはありませんよ。」
「良かった。ほら見て。ねっ、かわいい木靴でしょ。履いてみたいなぁって思って。かわいい木靴を履いて風車を見て回って、それからハジと二人でチューリップ畑を歩くの。ねぇ楽しそうでしょ?」
― 私は、貴女と一緒ならどこにいても楽しいのですよ。
ハジはそう思ってみたものの、それは言葉にせず小夜に気づかれないように飲み込んだ。
小夜が差し出す雑誌には、如何にも小夜好みといった可愛らしい木靴の写真が載っていた。瞬間ハジの脳裏に小夜が木靴を履いて満開のチューリップ畑をちょこちょこと歩く姿が浮かび、優しい笑顔が生まれた。さっきとは打って変わって、脳裏の映像を現実のものにしたいという想いが湧き上がってきた。
「貴女の願いは私の願い。次の春、チューリップが咲くころに行きましょうか。」
「ハジ、ありがとう。でもね、まだ行きたい所があるの。」
「お任せ下さい。どこまでもお供しますよ。どちらに参りましょうか?」
「あのね、オランダのお隣の国…。」
「隣ですか?」
「そう、隣。」
「…!」
しばらく逡巡したあと、ハジはある一国を思いついた。
「もしかして、チョコレートの有名な国、ですか?」
「えっ、どうしてハジにはあっさり分かっちゃうんだろ?何だか悔しいな。」
口を尖らせ可愛らしく頬を膨らませて、少し拗ねて見せる愛しい人。小夜のそんな表情がかわいくてもっと見たくなったハジは、ちょっとした意地悪を思いついた。
「貴女のことなら何でも分かりますよ。で、ほんとはベルギーがお目当てではないのですか?チョコレートの他にワッフルが美味しいことでも有名ですからね。」
― チョコレートでもワッフルでも、美味しそうに頬張ってパクパクと食べる貴女も、堪らなくかわいいいでしょうね。いつだって私にとって一番美味しいのは貴女なのですよ。
ハジの頭の中の小夜は如何にも幸せそうだったが、目の前の小夜はそうではなかった。
「もう、ハジっ。私だっていつもいつも食べ物のことばかり考えているわけじゃないのよ。」
「おや、違うのですか?」
「もう…ハジの意地悪。私がいつも想ってるのはハジのことなのに…。もう…ハジなんて…ハジなんて知らない!!」
― 泣かせるつもりなど…。
ほんの少しの悪戯のつもりだったのに…。赤茶色の大きな瞳が涙を湛えて潤んでいるのを見て、ハジの心が俄に軋んだ。
「小夜、許して。どうか機嫌を直して。もう意地悪なんて言いませんから…。小夜、お願いです。笑顔を、笑顔を見せて。」
「…ほんとに?もう意地悪言わない?なら、いいよ、許してあげる。その代わり絶対ベルギーに連れて行ってね。あのね、欲しいものがあるの…。ハジからプレゼントして欲しいものなの…。」
「貴女からおねだりなんて、珍しいですね。いいですよ、なんだってプレゼントしてあげます。何がお望みなのか教えてくださいますか?」
欲しいものが何かと問われ、先刻とは打って変わって急にモジモジし始めた小夜。訝しく思いながらもハジは小夜の答えを待つことにした。やがてしばらくして…、
「うんっ、とね。…あのね。…ダ、ダイヤの指輪、が、欲しい…の。ダイヤモンドで有名な街があるって…聞いたから…。」
「さ、小夜。もしかして!!」
どうしてこうも見事なまでに、ハジに心の内を読まれてしまうのだろう?気恥ずかしさと悔しさの入り混じった瞳でハジを見ると、何かを期待しているのだろうか、明らかにいつもより熱を含んだ視線が痛い。そんなハジの反応にうろたえながらも一つ大きく肩で息をして、小夜は一番伝えたかった想いを告げた。
それはそれは小さな声で。
「わ、私を、ハジの…お、お嫁さん…にして…欲しい、の。それで…ね、これからずっと、ずーっと一緒に…いてほしい、の…。」
― はっ、恥ずかしい。
自分でもはっきりと分るほどに声が震えている。穴があったら今すぐにでも入りたい。それよりもいっその事この場から逃げ出してしまおうか。けれど…、ここまで告げてしまったからには、最後まで伝えなくては、女が廃るというものだ。女は愛嬌という。愛嬌なら充分なほど持ち合わせている、と思う。あと自分に足りないものは…度胸のはず、だ。
「ハジ、わ、私…と、結…婚…して…くれません、か?」
真っ赤な顔をして消え入るようなか細い声で告げられた、小夜からのプロポーズ。
小夜が自分との形ある未来を望んでいることは気づいていた。だから考えない時はなかった。小夜が望むことならば、なんだって叶えてやりたい。しかし、自分が小夜に相応しい男なのかと不安に駆られ、言えずにいたのだ。
それに…そんな形に捉われなくても、小夜への愛は終世変わらぬものであり、小夜の思い描く未来には、小夜の手を取り共に歩く自分の姿があることを知っていた。そして、小夜の長い生涯を共に渡っていけるという自負と小夜を幸せにしてやれるのは唯自分ひとりであるという確固たる自信。
だから、少しばかりずるいと自覚しながらも…敢えて逃げていたのだ。それなのに、これほどはっきりとしたプロポーズをしかも小夜のほうからされることになるとは…。
自分の不甲斐無さとあまりの思いがけない展開にハジの全身は固まっていた。そんないつものハジらしからぬ様子に不安を思え、小夜の瞳は急速に翳りを帯びてゆく。
「…ハジ、もしかして、イヤ…な…の?」
次の瞬間、不安げな気持ちを吹き飛ばすかのように、小夜は息もできないくらいきつく抱きしめられた。
「イヤなわけありません!! 今、私がどれほどの喜びを感じているか、お分かりになりますか?まさか貴女からこんな嬉しい言葉をいただけるとは思っていなかったので…。小夜。あぁ、小夜、本当に私でよろしいのですか?」
ハジの腕の拘束は解かれない。そのまま温かな胸に頬を擦り寄せて囁いた。
「ハジが…いいの。ハジじゃなきゃ、だめなの。私ね、ハジと幸せになりたい。ハジはいつだって自分のことは二の次で…。だから私…ハジを、幸せにしてあげたっ。」
最後の一語は優しい口づけに消えた。そして…。
「そうですね。二人で必ず幸せになりましょう。愛しています、私の小夜。」
優しく微笑むハジの瞳には、嬉し泣きの小夜が映っていた。
「春まで待たなくても貴女がお望みなら、明日にでも指輪を買いに行きましょう。それから…ハネムーンの行き先は、オランダとベルギーで決まりですね。」
展開があっさり分かってしまう…ベタなお話ですみません。
祭に投稿したものに、かなり手を加えました。
さて。ハジって、いかにもお金のかからない人生おくってるし、かといって結構稼いでる様な気がするんです。
ただ使い方を知らんだけ…みたいな。
作曲家として、ジョエルやネイサンからたくさん依頼がある…ってのが私の裏設定。
そんなわけで、小夜がどでかいダイヤをご所望しても、ハジはビクともしない…はず。
無駄な知識を一つ。ダイアモンドの取引で有名な街『アントワープ』は、フランダースの犬の舞台になったベルギー第2の都市です。。
駄文にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
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