always you in a heart


【1】



最後に見た愛しい人は、今にも泣き出しそうな表情をしていた。…やはり、私には貴女に笑顔を与えることは叶わないのだ、と。
頭上に落ちてくる夥しい量の瓦礫の中、霞みゆく意識の中で、愛しい人が私の名前を叫ぶ声が聞こえた。それは、悲鳴に近かった。
貴女の未来には自分は不要な存在だ、と思っていた。だから、「生きたい。」と貴女が告げた言葉の中に自分の名を聞いた時、それだけで全てが報われたような気がした。30年の時を越えて貴女と再会してからというもの、半ば諦めの境地で貴女に仕えていた私にとって、それは夢のような一言だった。
…ただ、貴女の傍にいたかった。遠い昔、私を抱きしめてくれた愛しい人を護るために。
そして、笑顔が見たかった。貴女の輝くような笑顔が見たくて…、例え自分に向けられるものでないと知っていても、笑顔を取り戻すため、貴女の傍らで貴女を護り、共に在りたかった。それが自分の存在する理由だと自らに言い聞かせていた。だから半身を引き裂かれるほどの強い痛みを伴う、呪いのような約束さえも、自分が必要とされている証のような気がして愛おしかった。
けれど、矛盾した想いが心の奥底に存在していることも、自覚していた。笑顔が欲しかったのは、嘘偽りのない本心であったが、貴女が自分以外の他の誰かに笑顔を見せる度、鋭利な刃物で引っ掻かれたような、小さな痛みが胸を奔っていたから。
南国の小さな島で貴女が見せた笑顔は、本当に光り輝いていた。私が焦がれてやまなかった、あの愛しい笑顔で溢れていた。でもそれは遠い過去の記憶を全て失い自分の成すべきことを忘れて得た、束の間の儚いの幸せ。それは全てを終えたその先に自分自身の死を描いていた貴女の本当に欲しかったものに違いないけれど、貴女の望みを叶えるべく貴女の白く柔らかな喉元に禍々しい爪を立てて、貴女の明日を奪うこと、それこそが貴女から与えられた誇るべき、呪うべき私の役目。
しかし、私はそれを本当に望んでいたのだろうか…?
いや、…違う。本当に私が望んでいたもの、それは貴女の幸せ。幸せの中の笑顔こそが、私の望んだすべて。そして許されるものならば、この手で貴女に幸せを贈ることができたなら…。遠い動物園での日々の中で生まれた貴女への秘かな想い。それは永い時の流れとともに大きく膨らみ、今や自分では抑えきれないほど熱く切なく心を支配している。その細い肩を、折れそうな腰を引きよせ、髪を撫で、唇を重ね、想いの全てが詰まった熱い吐息をその耳朶に吹きかけ甘く愛の言葉を囁いて…、何度その光景を夢見たことだろう。張り裂けんばかりの苦しい思いを抱いたまま、幾夜独りきりで過ごしただろうか。
崩れゆくオペラハウスのステージの上で、貴女は自分から口づけをくれた。全てがこれから新しく始まると思えたあの瞬間。貴女と共に未来を歩む自分の姿が頭をよぎった、ほんの一時。
…けれどそれは砂に書いた城のように、儚く消えて逝った。
小夜は、カイと共に生きていく。もう自分の役目は終わったのだ…と、薄れゆく意識の中で覚悟を決めた。例えほんのひと時であっても、あの幸せな思い出が一緒なら、きっと死さえも恐ろしくないだろう…。
全身を覆い尽くす瓦礫、光の全く射さない暗闇。迫りくる死に全てを委ね、全身の感覚を、自分の名前を、愛しい人との記憶さえも手放そうとしたその刹那。
己の身体の中で勢いよく脈打つ鼓動を、ハジは確かに感じた。もう身体に残された血液はほんの僅かなはずなのに…。
頭の中で、呼びかけるように聴こえてくる、優しい囁き。

   …ハジ…
      私のところに帰ってきて…私が…あなたを…護るから…

それは泣いているかのように、切ない響きを伴って囁かれた。

  ハジ…。
    ハジ…。必ず…帰ってきて…。お願い…。

私の血は、愛しい人の血。私の中の女王の血が、まだ私を生かそうとしているかのよう…。
「小夜!!
ハジは、思わず愛しい人の名前を叫んでいた。瓦礫によって肺が押しつぶされていて、声にはならなかったけれど。
― 私はまだ、貴女の必要とされているのですか?
新たな使命感が心の中に湧き上がってくるかのようだ。
我が身の置かれているのが絶望的な状況であっても、何としても生き抜いて見せようという足掻きが、ハジの身体を無意識に蠢かす。
今更ながららしくないセリフを口にしたのだと思う。「ナンクルナイサ。」あの言葉を嘘にしないためにも…。
だが、身体を覆い尽くす瓦礫の量は思った以上に凄まじく、大量の血液を失ったハジには抜け出すことは至難の技のように思われた。何しろ、己の手足の感覚はほとんどないまま、それどころか身体が繋がっているのかさえ分からない、そんな状態だった。
死んでもいいと思っていた時には感じなかった体の痛みが現実のものとして激しくハジを襲い、死への恐怖は否応なしにその影を色濃くしていく。迫りくる米軍の爆撃機の音が、耳を劈く。今や自分の意志とは正反対となった絶望が、深く深く心を抉る。
そんな中、瓦礫の間を縫うようにして差し出された一条の光と一本の腕。それは未来へ導く希望の光にも似て神々しさえ漂わせ、ハジの視線を捉えて離さない。
ハジは何の躊躇いもなく、その光に向かって手を伸ばした。生きたい…。生きて、愛しい人をこの眼にもう一度…。小夜への一途なまでの思いだけがハジを突き動かしていた。



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気づいたとき、ハジは見知らぬ部屋のベッドに横たわっていた。白い壁、白いカーテン、差し込む日の光さえ眩しすぎて色を反射して何も映さない。何もかも白い世界。一瞬ここがあの世ではないかと疑った。
どれほどの時間眠っていたのか見当もつかない。分かっていることは、生きているという事実だけ。瞳を閉じれば、小夜の瑞々しい笑顔が脳裏に甦る。その笑顔が消えてしまうのが怖くて、ハジは目を開けられなかった。そのままそうしてまた眠るように意識を失っていった。
目覚めては眠るという、ただそれだけのことを幾度繰り返したのだろうか。久方ぶりにはっきりとした意識を持ってハジは朝を迎えた。もう睡眠は必要ないだろう、体の調子はすこぶる良かった。
それにしても…、禍々しい怪物に吹きちぎられた左腕は元に戻っていて、そればかりか主を裏切って以来、烙印のように翼手化したままだった右手さえ、白いきれいな人の手に変わっていた。なぜ?疑問が頭を擡げた。
「あぁらぁ、やっとお目覚めね。思ったより時間がかかったわね。でも仕方無いわね、だって尋常な怪我じゃなかったんだもの。生きているのが不思議なくらい。」
突然部屋のドアが開き、聞き覚えのあるオネエ言葉を耳にし、背筋に悪寒が奔った。恐る恐る声のするほうを見るとそこには見覚えのある人物が…、いやシュバリエがいた。
「ネ、ネイサン・マーラー。」
ハジは飛び上らんばかりに驚いた。あの日小夜に切られたはずのオカマが目の前にいる。一体なぜ?
ネイサンはそんなハジの様子に気をとめる風でもなく、ケラケラと笑って言う。
「やあねぇ、お化けじゃないわよ。あの日小夜に切られたのはネイサン・マーラーという名の男。今の私は…、やっぱやめとく。追及されたら困っちゃうもん。今は私のことなんてどうでもいいでしょ。それより、あれから小夜がどうなったかとか、そっちのほうがあなたにとっては大切なことなんじゃないの?」
小夜という名前がオカマの口から聞こえた途端、ハジの目はそれと分るほどに細められた。
「もう、分かりやすいんだからぁ。ほんとにあなた、あの娘の事を愛しているのね。なんだかちょっと妬けちゃうけど、教えてあげるわ。」
ハジは今度は眉一つ動かさず、黙って聞いていた。
「小夜はあれから、カイって男の子と沖縄に帰ったわ。つかの間の平和な穏やかな時間をカイや友達と過ごして、予約眠りに就いたのが半月ほど前。今はもうすぐ10月半ばよ。あの娘、いつ眠ってもおかしくない状態だったのに、誰かを待ってるみたいで。襲い来る睡魔と必死で闘って…。よっぽどその誰かさんに会いたかったのね。なんて健気なのかしらね、かわいいわぁ。」
明らかにネイサンは、ハジに向かって言っているとしか思えない。
「…小夜が…誰かを待って…。」
「あら、心当たりがあるんじゃないの?あの日、小夜と熱い口づけを交わしたのはどこの輩だったかしら。もしかして忘れちゃった?」
「忘れるわけが…。」
ハジは肩を、いや全身を震わせて次の言葉を探している。そんなハジの様子にネイサンは心底呆れかえったように言う。
「まさかあなた、自分が片思いだとでも思ってたの?あ〜ん、もう、せっかくいい男なのにィ〜、乙女心が分からないなんて、台無しだわ。ほんっと、世話が焼けるわね。いい?よく聞いてね。小夜が愛しているのは、あ・な・た。もうずっと昔からあなた、ただ一人を愛していたのよ。あら!やだぁ、マジで気づいてなかったの?ちょっと、未だに小夜にとって自分は不必要な存在とでも思ってんのか?」
ネイサンは語尾を野太い男の声で凄ませて、ハジを威嚇するように睨み付ける。だがハジは、ある思いに逡巡していた。
― 小夜が自分を愛している?事実ならば、これほど嬉しいことはない。だが、小夜の口から告げられたわけでもないのだ。小夜にとって自分は、苦しい過去の過ちでしかないはず…だ。
ネイサンは、さらっといつものオカマ口調に変えて、やれやれといったように顔をしかめてつづけて言う。
「別に信じなくたっていいわ。でもあの日の口づけは小夜からだったじゃない。あの娘が同情や行きがかりでそんなことする子じゃないってこと、あなたが一番よく知ってるんじゃないの?あれは確かに愛のこもったキスだったわよ。見ていて、とっても美しかったもの…。あぁ、いいわね、愛し合う二人の姿って。」
「…。」
「で、あなた、どうするの?やっぱり小夜に会いに行くの?でもね、次に小夜が目覚めたとき、今のあなたのままであの娘を受け止めたって、あなたたちは幸せにはなれないわよ。あなたってば盲目的に小夜のこと愛しすぎて、確かにそれはシュバリエの血がそうさせるものなんだけど…。ねぇ、いい加減、そのシュバリエ根性捨てちゃいなさい。そんなの後生大事に抱えたまま、「愛してます」なんて言っても、あの娘、少しも喜ばないわよ。あなたを血で縛りつけた、と後悔してるくらいなんだから。そうでしょ。」
無知ゆえに小夜はハジに血を与えた。そのことを小夜が悔いていることは、傍らでその背を見ていたハジは知っていた。だが、そんなことは小夜が悔やむことではない。そうしなければ自分は小夜とこうして同じ時間を歩くことはできなかったのだから…。あのまま何もせず老いて死に去らばえてゆくことは、ハジにとって何より恐ろしいことだったのだから…。
でも、小夜はそう思ってはいない。
「ハジ、あなたは小夜のもとを離れてはダメよ。あなたが来る前の動物園での小夜、どんなだったか知ってる?ジョエル以外の誰とも口をきかず、人間として衣食住は満たされていても、その心の中は塔に閉じ込められたディーヴァとたいして変わらなかったのよ。…あなたが動物園にやって来て、小夜を、小夜の世界を変えたのよ。それからの小夜は本当に楽しそうだったわ。小夜に生きることの意味や喜びを教えたのはあなた。小夜の人間性は全てあなたから教えられたもの。もし…あなたが小夜のもとを離れたら…あの娘の世界は一人ぼっちの動物園のころに戻ってしまうのよ。あの人間の男の子、カイがいるうちは大丈夫かもしれないけど、所詮あの子は人間。近い将来この世からいなくなるわ。その時小夜はどうなるのかしら。可哀そう過ぎて、想像するのも嫌になるわ。」
ハジも、遠くない将来訪れるカイとの別れの時を思っているのか、美しい眉間に似つかわしくない苦悩を露わにしていた。刹那、新たな疑問がハジの心に生まれた。
「ネイサン、なぜあなたはそんなことまで知っているのです?」
「知りたい?でも教えてあげない。そうねぇ、代わりと言っちゃなんだけど、ヒントあげるわ。小夜の身体には私とおんなじ血が流れているのよ。だから、あなたの右手も左腕も私の血で治すことができたんだけど…それってどういうことか聡明なあなたには分かっちゃうわね?」
「まさか…!!
「正解は…やぁねぇ、答えるわけないじゃない。ご想像にお任せするわ。小夜は…あの娘はね、私の女王様が残した忘れ形見。あの人やディーヴァの分も幸せになって欲しいのよ。そのためにもあなたにはうんっと頑張ってもらわなきゃ。」
嘘偽りはないのだろう。小夜の幸せを願うネイサンの瞳は、まるで娘を思う父親のよう。胸に湧き上がった予感が確信へと変わりつつあった。だからこの人は、ディーヴァのシュバリエとして彼女のそばにいたのだとハジは悟る。小夜には自分がいた。全てを捧げて愛し護る、ハジという一人の男がいた。だがディーヴァには…?彼女を心から愛した男はいたのだろうか。
「う〜ん、もしかしてばれちゃった?もう、これだから頭のいい男は困るのよ。まぁ仕方無いわね。そんなあなただから小夜の未来を託せるんだもん。それにしても小夜はほんとにいい男をシュバリエにしたもんだわ。妬けちゃうわ。」
なんだか話が別な方向に進んでいくようで、内心ビクビクしているハジだったが、そんなことはおくびにも出さない。そんなハジの心の内を見透かしているようにふっと息をひとつ吐くと、ネイサンは真顔で話し始めた。
「ねぇ、ハジ。ディーヴァの子供がこの世に生まれ、女王の世代交代が始まった。それはディーヴァが血の効力を失くしていたことで、あなたも知ってると思うけど、小夜も少しずつ女王としての力を失ってゆく。そうねぇ、一番その影響が出るのは眠りの時間かしら。今までのように30年も眠っていないと思うわ。今回の眠りもせいぜい20年くらいかしら。もしかしたらもっと早くお目覚めになるかも。いずれ休眠そのものがなくなるんじゃないかしら。あとは…ごめんなさいね。私もよく分からないのよ。なんたって私の女王様は…。」
小夜の目覚めが早い!!これを朗報と言わずしてなんと云うのだろうか?胸の鼓動が勢いを増して苦しくなる。
小夜の休眠中、寂しくないといえば嘘になる。辛くないといえば、強がりになる。幾千の月日をたった独りで…本当ならそんな孤独耐えられるわけがないのだ。今だって、すぐにでも漆黒の翼をはためかせて会いに行きたいものを…。
「もう、心ここにあらずって感じね。そうね、もうここを発ったほうがいいわね。急げば、女王様の眠りに間に合うかもしれないし…。ハジ、お願い。あの娘のこと、よろしくね。何にもしてあげられなかったあの人の代わり、私がお願いするわ。あなたの手で幸せにしてあげて。泣かせたりしたら、ただじゃ済まないぜ。」

そう言い残して部屋を去るオカマの背に、ハジは深く頭を垂れた。




ようやくUPできました。
でもわたしが書くにしちゃ長いので、少しづつ。
とりあえずは第1話。
実はこれが、BLOOD+においての初創作ですが、
手直し修正で元の話とはかなり違うものになってしまいました。特にネイサンの扱いが…。
どうあってもハジに30年も待たせるなんてできなかった。
この設定だけは変わってません。^^;
でも女王の世代交代がほんとに起きてるなら何でもありよねと、
自らに言い聞かせるようにして書き上げました。
勝手な解釈・妄想炸裂で、お見苦しいことこの上もありません。
もう都合のいいようにしか考えられません。
言訳さえも見苦しくて、申し訳ないです。お詫びばかりですね。

駄文にお付き合いくださいましたこと、心より感謝いたします。