【3】


小夜の妊娠が判明したその翌々日、日が暮れる頃になって、ハジは小夜を伴いOMOROを訪れた。南の島特有の強い日差しは、今の小夜の身体には負担になると思い、幾分気温が下がったころに出かけると決めたのは、やはりハジだった。例えどんなに些細なことでも、労わり愛しんでくれる恋人の気遣いは、小夜には何より嬉しい。

「カイに知らせなきゃ、ね。きっと喜んでくれるよね。それともびっくりするかなぁ?」
小夜は一刻も早くカイに知らせたくて、昨日ジュリアのところからの帰りに直接寄るつもりでいたのだが、
「まだ、ふらつくみたいだから、今日はまっすぐ家に帰って、ハジの腕の中で休みなさい。あなたにはそれが一番。…ったく、私の前でもずっと手を繋ぎっぱなし…ほんとにあなたたちの熱々ぶりには…目のやり場がないわ。」
ジュリアにそう言われてしまい、顔を真っ赤にしたまま昨日はおとなしく帰路についたのだ。

OMOROには、みんなの顔が揃っていた。カイと香里はもちろんのこと、ディヴィッド夫妻、ルイス、ルルゥ、岡村と真央の夫婦。ジュリアがみんなに連絡してくれたらしい。さすがにフランスで暮らす、ジョエルや双子までもとはいかなかったが…懐かしい顔が小夜とハジを迎えてくれた。
共に闘った仲間である彼らの顔には、時の流れに抗えないその証だろうか、過ぎ去った時間に比例するような歳相応の皺が刻まれている。だが彼らの表情は時が経た今も何ら変わることはなく、あの頃を彷彿とさせる。
そんな仲間たちが、みんなそれぞれ小夜のおめでたを祝うためにわざわざ集まってくれたと聞いて、小夜はまたハジの胸を涙で濡らした。嬉しくて、嬉しくて…そんな小夜をハジが優しく背を撫で、抱きしめた。
「あぁ、また始まったぜ。あのなぁ、ここは日本だぜ。いくらお前たちがフランス生まれだからって、ちったぁ遠慮したらどうだ !! 」
カイは、相変わらずな口調だったが、みんなはそれがカイなりの祝福の仕方であることを知っている。そして真央も、
「あ〜あ、心配して損しちゃった。やっぱり、することはしてたんだね。初な顔してたから心配してたんだよ。でもさ、自分のシュバリエとの間には、って話、前に聞いたことがあったけど…、あれってただのホラ話だったってことだよね。それともあんたたちの愛の力ってやつ?実は毎晩一生懸命励んでたんじゃないの?…でも、ホント良かったね、音無。だってさぁ、出産ってさ、女にしかできないんだよ。なんたってそれが好きな人の子供だったら、嬉しさ倍増じゃん。」
と、ちらっと夫のほうを見て言った。

からかわれたり、冷やかされたりといった、手荒な祝福がほとんどでも、今日の小夜にとっては喜びを大きくするもの以外の何物でもなかった。
なんという穏やかな満ち足りた幸せな時間だろうか。長い戦いを終えて辿り着いたこの時間は、大切な家族をはじめ、自分を愛してくれるたくさんの仲間たちの支えなしでは到底手に入れることができなかったものだ。そのことを決して忘れてはいけないと…小夜は心の中で深く頭を垂れる。そして自分を見つめる視線を感じ、その先を見れば優しく頷き返す愛しい人がいた。

その夜は、みんな思い出話に花を咲かせ、思い思いに談笑し、結局夜が更けて明け方近くになっても、誰一人としてOMOROを去る者はいなかった。

ハジと小夜の二人は、ほぼ徹夜明けのカイがOMOROの開店準備をする頃に家路についた。
さすがに昨夜の疲れが出たのか、小夜は日が天頂に上った時間になっても寝室から出てこなかった。
スースーと穏やかな寝息を立てる愛しい人のかわいい寝顔を傍でずっと見ていたかったが、意を決すると穏やかな寝顔にひとつ優しく唇を落とし、ハジは再びOMOROに向かった。自分の決意を形にするため、カイの力を借りようと…。



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「カイ、お願いがあります。」
夕方からの営業のための仕込みをしていた時だった。いきなり現れたハジの言葉に、カイは瞬間いやな予感に全身が固まった。。
「いっ、いきなりなんだぁ?お前が俺に頼み事って。どういう風の吹きまわしだよ?」
「…………。」
自分から言い出しておいて、なかなか続きを言おうとしないハジに、カイはわずかながら苛立ちを覚え、きっぱりとした口調で問い返した。
「言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ。お前が俺を頼ってくるなんて、よっぽどのことっていうか、小夜のこと以外にないだろ。」
カイの言葉に促され、意を決したようにハジは、口を開いた。
「じ、実は、小夜と結婚…式を、挙げたいのですが…。」
「け、結婚式って、お前、ようやく決意したのか。そっ、そりゃそうだよな、子供が産まれるんだ。今が一番の潮時だよなぁ。腹でかくなったら、カッコつかねえしな。…いや、ちょっと待て。小夜にはもうプロポーズしたのか。あいつ、ものすごい喜んでただろ?」
そうか、そうか、よしよし、など、ひとり合点がいったように、満足げにカイは呟いている。
「いえ、プロポーズはまだ…。」
ハジは、申し訳なさそうに小さく答えた。途端にカイの表情が曇って見えた。
「おいっ。まだって、どういうことだ?」
「…それらしいことは幾度となく伝えてきました。小夜へ想いを伝える時は、いつもプロポーズのつもりでしたので…でも肝心の小夜は、全く気づいていないようでして…。もうすでに二人で暮らしていて、今さら結婚など、とも思います。大体、こんな私が小夜と結婚など、分不相応のようにも思います。しかし、奇跡的にも私の子どもが小夜の身体に宿りました。それは、本当に嬉しいことなのですが、…同時に不安でもあるのです。果たして、自分が小夜に相応しい男なのか。私には、小夜に捧げられるものは、彼女を想う気持ちと、この身の他には何一つ持ち合わせていません。」
普段は全くの無表情と言っていいほどに整った白皙が、今は苦悩の色を露にさせている。いつものことだ。この男は、こと小夜のこととなると、別人のようになる。そして、小夜の話をするハジの顔貌からは、小夜への限りない愛情が溢れているのがはっきりと見て取れる。小夜というたった二音の名前にさえ、秘められた想いの深さは如何ばかりのものか…。

「なぁ、ハジ。小夜に捧げられるものが、お前自身しかないって嘆くけど、それって小夜にしてみりゃぁ、それ以上に嬉しいことはないと思うぞ。それにお前、あんまり自分を卑下するな。さっきのお前の台詞を小夜が聞いてたら、マジで怒り狂ってるぞ。“私に、ハジ以外の誰が相応しいって言うの。”ってな。あのなぁ、これはお前自身が一番分かってることだと思うけど、小夜を護ることができるのは、お前だけだ。俺にはぜってぇ出来ねぇよ。確かにあの頃の俺は、小夜を守れるのは俺しかいないって思い込んで突っ走ってた。今思えば、ただの向う見ずな青二才だったよ。そんな俺もそのうちに自分のカッコ悪さに気付いたってわけさ。で、そんな俺の役目は、もう二度と翼手の力を悪用する奴らが現れないように、赤い盾の一員としてお前らを見守ることだ。ってのは、名目上で、ただ単にお前たちに幸せになってもらいたいだけなんだけどな。」
頭をボリボリと掻きながら、ハジに想いを明かすカイの心境は、もうすでに友人を通り越し、保護者としてのものに限りなく近いのかもしれない。
「それで、俺に何してほしいんだ。」
「式を…。小夜には秘密で、計画して欲しいのです。」
計画が実行された時の、小夜の様子を想像しているのだろうか、それとも真白なドレスに身を包んだ小夜の姿を思い浮かべているのか、ハジは無表情を少しだけ崩した。
「…なるほどな、サプライズってやつだな。わかったよ。まぁ、こっちのほうは任せとけ。っていっても俺にはそんな才覚はないからなぁ。俺たちの時も結局、あれこれと奔りまわってくれたのはルイスだし…。やっぱここはルイスに任せたほうが…。よっしゃ、俺からルイスに頼んでやるよ。一生忘れられない式になること間違いないぜ!だから、こっちのことは心配すんな。お前は、プロポーズのセリフでもしっかり考えておけよ。」
ハジは、明らかに安堵の表情を浮かべて、カイに頭を下げると、OMOROを後にした。
ハジが帰った後、カイは、早速ルイスに連絡を取った。ハジからの希望を伝えると、ルイスは二つ返事で、元CIAの諜報員よろしく、一言。
「OK、すべて俺に任せときな。」
こういったことにルイスが喜びを見出すタイプの人間であることは長い付き合いのなかで知ってはいたものの、ルイスの殊更明るい声にほっと胸を撫で下ろしたカイだった。



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ハジが、カイに例の相談した日から、およそ1か月が経とうとしていた、9月初めのある日のこと。

朝、目が覚めると、なぜか家の中のどこにもハジの姿はなかった。明け方いつものように、優しく額にキスをして、髪を撫でてくれるハジの気配を、夢見心地の意識の中ではっきり感じ取っていたのに…。
― ハジ、どこに行っちゃったの?私をひとりにしないでっていつも言ってるのに…。
不安で霞む視界。小夜には、ハジが向かう宛などただ一つしか思いつかなかった。OMOROに向かう足取りが自然速くなっていた。姿を現した小夜を見るなり、カイは、
「あぁ、ちょうど良かった。今から、お前を迎えに行こうと思ってたんだ。タクシー手配してあるから、これからすぐに○○ホテルまで行ってくれ。」
と、ぶっきらぼうに告げた。あまりにも唐突なことで、小夜は目を丸くして
「なんでぇ?」
と尋ねたが、カイはそんな小夜を適当にあしらって、それでも必ず来るようにとくどいくらいに何度も念を押した。

小夜は、疑問に思いながら、しばらくしてやってきたタクシーに乗り込んだ。
― ここ最近、みんな何か隠し事をしてるみたいで、なんだか余所余所しかったし…カイも香里もなんだかすごく忙しそうで…。それに…今日は朝から、ハジまで…。私に何も言わないでどこかに出かけちゃうなんて…。
ハジと心も身体も結ばれてからというもの、それこそ片時だって離れたことがなかったから、酷く心細く寂しかった。追討ちをかけるように少しだけ潮の香りを乗せた湿った風が、小夜の今にも泣き出しそうな心を吹きぬけてゆくようだ。いつもハジのぬくもりを感じている小さな手のひらが今は一段と小さく見え、小夜はそっと自分の肩を抱いた。
物思いに浸る時間はあっという間に過ぎ、小夜一人を乗せたタクシーは目的地に着いた。
― カイは、フロントで名前を言えば分かるようになってる、って言ってたよね。
一人心細げに心の中でそう呟いて、フロントで名を名乗ると、ひとりのホテルマンが奥から現れ、こちらへどうぞ!! と言って、案内してくれた。
通されたのは、最上階のスィートルームだった。大きな窓からは、はるか彼方の水平線まで続く紺碧の海が眼下いっぱいに広がる。さっきまでの寂寥感いっぱいの心が、碧い海に溶け込んでいくような気がした。
「こちらでしばらくお待ちください。」
と言って、ホテルマンは部屋を出て行った。
― 私を呼びだしたのって、ジョエルさん?でも、一体なんの用?―
こんな豪奢なスィートルームを手配できる人物は、小夜には当然のことながら、ジョエルしか思い浮かばなかった。
― ということは、赤い盾?
翼手に関係した重大な知らせでもあるのだろうか?でもそれならなぜ、カイがこのホテルに行けって言ったりしたの?

分らないことだらけで、またも不安に陥ってしまう。しばらくして、コンコンと、ドアをノックする音が聞こえた。重い不安な足取りでドアを開けると、そこには見知らぬ女性が二人いた。
「お支度をさせて頂きますね。」
「えっ、なんの?」
小夜の質問には答えず、女性たちは部屋に入るなり戸惑う小夜をよそに、一人は小夜の衣服を脱がし、一人はベッドルームの奥のクローゼットから、純白のドレスを持ち出して、小夜の前にかざす。
そのドレスには見覚えがあった。以前ハジと街を歩いていた時、ショーウィンドウ越しに眺めていたドレス。ワンショルダーが特徴の、シルクサテンの滑らかな布地を存分に活かした、至ってシンプルなデザインではあったが、所々にバラのコサージュがバランスよく施され、細くしぼったウエストから流れる裾は美しいラインを描いていて、素人目にも一目で上質のものであるのが分かった。
あの時、言葉なくただ黙ってガラスの向こうのドレスを見つめる小夜を傍らに、ハジは何を思っていたのだろう?
「素敵なドレスですね。…やはり、小夜も憧れますか?」
と、優しく問いかけられたあの日のことが、鮮明に脳裏に蘇る。
―ハジ、あなたがいてくれたらそれでいいの。それにお腹の中にあなたの赤ちゃんだって…。もうそれだけで、私は幸せだから。
あの時はそう応えて繋いでいたハジの手を強く握り、想いを伝えただけ。実際、ハジがいつも傍にいてくれるだけで、他に何の不足があるわけがなかった。
…けれど。でも…やっぱり…一度は…ハジのために着てみたい…。
そう思っても、口にするのは躊躇われた。傍にいてくれる、ほんとにそれだけで充分。それ以上を望むのは、あまりにも欲張りすぎのようで、それはただのわがままのような気がしていた。

― もしかして、このドレス、ハジが用意してくれたの?あの時、ハジの手を強く握りしめた時の私の本当の気持ちを、ハジは気づいていたのかも…。急に目頭が熱くなる。
「素敵なドレスでしょう。今秋の新作のひとつなのですが、予約のうちからものすごい人気で、結局沖縄ではこの一点しか入荷できなかったんです。さあ、早くお召しになって下さい。よくお似合いだと思いますよ。」
滑るようなそれでいて吸いつくようなしっとりとした、絹の肌触り。擽ったいような布地の着心地は慣れないものだったけれど。
ハジが選んだそのシンプルなデザインのドレスは、まるで着る者を選ぶかのように小夜に馴染み、彼女の魅力を余すことなく引き出していた。
小夜が鏡の向こうの自身に見惚れている間に、係りの者が次から次へと小夜の全身を新婦の姿へと変えてゆく、それはまるで夢の中にいるかのような出来事だった。
「出来上がりました。ほうら、やっぱりよくお似合いですよ。皆さん、特に新郎さまは、それはそれはお待ちかねでしょうね。ご懐妊と伺っておりますが、ご気分はいかがですか?大丈夫のようでしたら、そろそろ参りましょう。」
差し出された薄いピンクのバラと大輪の白百合であしらわれたブーケを胸に押し当て、最愛の恋人、これから永遠の伴侶となるであろう男を想い、小夜は小さくその名を口にした。



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最上階からエレベーターでフロントのある1階まで降り、そこから少し薄暗い渡り廊下を進み、急に視界が開けたと思ったら、そこはホテルの裏庭のようだった。まだ夏の盛りの眩い陽の光で一瞬目が眩みそうになったが、ほどなくしてはっきりと辺りの様子が見えてきた。季節柄、瑞々しいまでに青々とした芝生の中に、小さな石造りのチャペルが見えた。そして、チャペルのドアの前に立つ男性の姿を目に飛び込んできた。小夜は、ドレスの裾を気にしつつ、足早にカイに近付いた。カイは、着なれない燕尾服の所為か、少しだけ照れくさそうな顔をしていた。
「カイ、 私の…結婚式?」
「ああ、中でハジが待ってる。早く行ってお前のその姿、見せてやろうぜ。感激のあまり、あいつぶっ倒れたりしてな。…今日は、俺が花嫁の父になって、ハジのところまで連れて行ってやる、いいか?」
どこから見ても新婦の父役のカイの口調は、いつになく優しいものだった。

いかにも重厚そうなチャペルのドアが大きく左右に開かれた。
途端、厳かな調べが流れ、チャペル内の空気をふるわす。高く取った天井付近の壁には、厳かな雰囲気に相応しく、ステンドグラスがふんだんに埋め込まれ、これから小夜が歩む紅いカーペットの上に、色とりどりの柔らかな光を落としていた。
カイは小夜の手を自分の肘に置き、ヴァージンロードをゆっくりと進み始めた。
よく見るとヴァージンロードの両横には香里に、真央、ジュリア、デヴィッド夫妻、ルイス、それにルルゥといったかつての仲間たちの姿があった。その上、いつの間に来日していたのか、ジョエルと双子の姿も見えた。
みんな、笑っていた。誰もが小夜の姿を見て微笑んでいた。なんだか鼻の奥がツンと痛くなる。それは幸せな痛み。チャペルの最奥、一段高くなった祭壇の向こう側には、いつもの派手な恰好からは想像できないほど落ち着いた、牧師の姿に変えたネイサンがいた。彼にしては珍しく、いつものおちゃらけた雰囲気は纏っておらず、緩くウェーブした金髪の下からのぞく眼差しは、純粋に二人を祝福するための温かく優しい色彩を帯びている。
ネイサンの手前、赤いカーペットの終点には新郎のタキシードに身を包んだ青年の姿が見えた。左胸のポケットには小夜の手にするブーケとお揃いのブートニアが挿してある。ヴァージンロードをゆっくりと進む小夜を熱く見つめる、薄青の双眸。「ハジ…。」
溜息が出るほどの美しさとは、こういうことを言うのだろう。きっとファッション誌のモデルさえも太刀打ちできるものはそう多くはないだろう。いつもは見慣れているはずの小夜の瞳にさえ、今日のハジの姿は眩しすぎる。
―こんなハジの隣に並んではきっと自分など見劣りしてしまうに違いない…。
そんなことを頭の中で考えながらカーペットを進んでいたら、いつの間にかハジの待つ祭壇のところまで来ていた。カイは自分の腕におかれた小夜の手を、そのままハジへと手渡して、参列者席で座る香里の隣に静かに腰をおろした。恭しく小夜の手を取ったハジは、カイが腰かけたのを見届けるとそのまま跪き、そっと小さな小夜の指の背に口づけた。
互いの熱い視線が絡み合う。
ハジは、小夜に向かう姿勢はそのままで、ゆっくりと言葉を紡ぎだした。


「まだ私が幼かった遠い昔のことです。
この世に生を受けたことを嘆いていた私の孤独な心を救ってくれたのは、貴女でした。
あの日から、貴女だけを見つめてきました。貴女が私の生きる全てでした。
あれから気が遠くなるほどの歳月が流れていきましたが、私の想いは変わることなく、
雪に覆われた白銀のロシアでも、ベトナムの湿った大地にあっても、
例え、どんなに吹く風が強くても、どれほど足元がぬかるんでいても、
私の想いはまっすぐ貴女に向かっていたのです。

小夜、貴女と、生まれてくる子どもの未来を私に託していただけませんか?
…そして、悠久の時を共に歩む者として、私を、貴女の伴侶にしていただけませんか?
貴女の傍らで、貴女の笑顔を護りたいのです。
小夜、貴女を永遠に愛し続けると、今ここで貴女に誓います。」


まっすぐに小夜の瞳を見つめ言葉を紡ぐハジの真剣さに、小夜は瞬きすら忘れていた。
ツウーっと頬を伝う一滴の涙。
そんなにも永い時、愛されていたなんて…。
そしてこの時を自分が待ち焦がれていたという事実に、小夜は改めて気づいた。
「ハジ、ずるい。こんな素敵なドレスを着せてもらったら、断れるわけないよ。…ハジ、ありがとう。ありがとう。…私、ハジからのプロポーズ、ずっと待ってたんだね。だって、すごく嬉しいの。ホントに嬉しいの。…ハジ、こんな私でよかったら…よろしくお願いしまっ。」
最後の言葉を言い終わらぬうちに小夜の唇は、ハジによって塞がれた。長い、長いキス。ただ唇を合わせるだけのキスなのに、見守る仲間たちの眼には美しい映画の中のワンシーンのように映るのだろう、その口からは羨望の溜め息が零れた。
チャペルの鐘が鳴り、誰からともなく祝福の声が上がる。
ハジは優しく唇を離すと、小夜の耳元でそっと囁いた。
「そのドレス、覚えていますか?あの時一目見た時から貴女に似合うのはこのドレスだと思っていましたが、思った通りでしたね。その…とてもよく似合っています。それに、いつにも増してきれいです。」
そして、今度はそっと頬に触れるくらいの優しいキスを落としてくれた。見つめてくる視線が熱くて、同じくらい熱い視線を返せば、ハジの瞳が心なしか潤んで見えた。そして、バツが悪そうな少し照れた微笑みを浮かべ、
「実は、どうしてもこのドレスを貴女に着せたくて、少しばかり無理をしてしまいました。そんな不甲斐ない私を見かねて、カイやジョエル、ここにいる皆が、お祝いだからと、用意して下さったのです。」
小夜の前に差し出されたハジの大きな掌の上には、大きさの異なる2つの指輪。一目で結婚指輪と分かるそれは、薄暗い教会の中でも一際白金色に煌めいていた。小さな指輪には、赤い石が3つ並ぶように埋め込まれていた。
「その赤い石は、貴女の大切な家族の結晶です。これからはいつでも一緒にいられるようにと…ジョエルにお願いして作っていただいたのです。気に入っていただけるとよいのですが…。小夜、私の永遠の愛と、皆の気持ちの籠ったこの指輪を、受け取ってくださいますか?」
小夜は「うん。」と、頬を朱に染めて小さく頷いた。すると、ハジは小夜の左手を取り、その薬指に指輪を嵌めてくれた。そして小夜はハジの左手薬指に。そして、またどちらからともなしに、唇を重ね合う。刹那、小夜の瞳から、涙が零れおちた。今度はとめどなく溢れ落ちる涙を、優しく唇を離したハジが、いつものようにその唇でそっと吸い取ってくれた。

チャペル内では、相変わらず祝福の声が絶え間なく上がっていたが、人間のそれとは比べものにならないほどの聴覚を持つ二人なのに、どこか遠い場所での出来事のようで、すべての音は耳をすり抜けていくばかり。
小夜は、ハジの広い胸に顔を埋め、そんな小夜を優しく拘束するハジの腕。もうどんな言葉も二人には要らなかった。
見つめ合う瞳と抱きしめあった身体の温もりだけで、想いのすべてが通じ合う。まるでシンクロしたかのように、二人の鼓動、呼吸、思考までもが同調していく。

促され、離れ難いかのように身体を離した二人は、今度は腕を絡ませて、チャペルの出口に向かって歩き出す。その刹那、厳かな雰囲気をかき消すように、ネイサンの声が響き渡った。
「小夜!! ディーヴァは貴女のこと、少しだって恨んでなんかないわよ。だから、遠慮せずに幸せになりなさい。それが生き残った者の務めでもあるのよ。いい?ハジの手を離してはダメよ。ハジを信じてどこまでもついて行くのよ。じゃないと、私がハジをもらっちゃうわよ。そんないい男、滅多にお目にかかれないんだから。分かったわね、小夜。」
ネイサンらしい祝福の言葉に思わず小夜の口から笑みが零れた。気になって隣に視線を移せば、ハジの肩が微かに震えているのが見えた。
「ありがとう、ネイサン。ううん、…お父さん。」
小夜は後ろを振り向くと、伝えるべき相手にだけそれとわかるよう小さく頷き呟いた。



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チャペルの外は眩いばかりの陽が溢れ、どこまでも青く澄みきった空が見渡す限り続いていた。ホテルに来る途中寂しく感じたあの潮風は、今は頬を撫でるように優しく心地よく吹き抜けていく。
見れば見も知らぬ人々までもが輪を作り、小夜とハジを祝福するように取り囲んでいた。
小夜は、ハジの瞳の色に似た青空に向かって微笑むと、ふんわりとブーケを投げた。ゆっくりと放物線を描いて降ってゆく花たち。湧き上がる歓声。競い合うように伸ばされた手。ブーケを手に入れたのは、一体誰?誰でもいい。だって…。
― この世界に生まれたすべての生命に幸せを。私がこの世に生きることを許してくれた全ての人に明るい未来を。私は、私はこの世界を愛している。そして…。
まだ強い夏の日差しから小夜を守るように立つ長身。そっと静かに見下ろしてくる優しい眼差しにこの上ない幸せを感じる。だから私はうるんだ瞳で微笑みを返す。
「ハジ。世界で一番あなたを愛してる。」
頷くように、そっと差し出された大きな手。その温かさを確かめるために一際力を込めて握り返した。出会った時、彼はあどけなささえ残る少年で、手だってまだ小さかった。
薔薇の薫る広大な庭。私の運命を決めたあの出会い。あの時彼を引き合わせてくれた養父は、今、空の上で何を思い、どんな目で私を見てくれているのだろうか。彼の人に届くだろうか、願いをこめ空を見上げて呟いた。

「ジョエル。ハジと出逢わせてくれてありがとう。私は、とても幸せです。」

―ねぇハジ、今、空が笑ったような気がしたの。
Fin

書きました。やっと書けました。ちょっと長くなっちゃいましたが、一気にUPです。
セリフのない人もいますが、一応オールキャラ登場ってことで(笑)。
何気にやっぱりカイが出張ってます。
私は、この人はもう保護者扱いしかできないんで、いざッちゅう時しっかり働いてもらいます。
最後のセリフを小夜に言わせたくてこの話を書き始めたんですけど、そこに辿り着くまでが…。筆力のなさを改めて痛感
一番苦労したのは何てったって、そりゃあ、ハジのチャペルでのセリフです。いつの時も小夜の事だけを、って気持ちをどう書けばいいのか?未だにあそこは書き直したい気持ちMAXです。
ドレスとか、チャペルの様子とかも、ちゃんと調べればよかったんですけど、そんなことしてたら他所へ脱線して戻ってこれなくなりそうなので、その辺は勢いで書いてます。突っ込みは無!ってことでお願いします。
とにかく二人の幸せ度が、うまく伝わればいいんですけど、いかがでしょうか?


拙作にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。


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