【3】
ハジ……
もうすぐ……会える……
ハジ……待っていて……
頭の中ではっきりと聞こえる、自分の名を呼ぶ声音。
どれ程の時が経とうと、どれほど遠く離れていようと、確かに感じることができる愛しい人の鼓動。
あれから21年の歳月が流れ、目覚めの時はやってきた。
いつかネイサンがハジに語ったとおり、今回の休眠期間はいつもより短かい。
「小夜。」
切なく胸を打つ甘い声で愛おしげにその名を呟くと、今も彼女が心の中で変わらずに息衝いている手ごたえを感じられた。小夜が自分を呼んでいる。感じると同時、反射的に身体は小夜のもとへと飛んでいた。
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大海原の向こう、西の空を幾重ものオレンジ色に染めながら、太陽がその日一日の最後の光を一際強く輝かせるころ。
彼女はちょうど目覚めの時を迎えていた。存在を主張するように石室の中央に鎮座した巨大な繭は、その役割を終えるかのように中央部分が綻びかけていて、そこからすらりとした白く長い手足が覗き見えていた。
その綻びから這い出すようにして頭を出した白い身体。ハジはその身体が繭から滑り落ちるその瞬間を受け止めた。確かな手ごたえで受け止めた愛しい人の身体。白い胸、白い手足、白い項。薄暗い石室の中だというのに、何もかもが白の世界へと姿を変えていくように、小夜の身体はまるで穢れを知らぬ天使のように、白く透き通り輝いて見えた。
対照的にうねるほど長く伸びた髪は艶やかな漆黒。黒髪が白い肢体に絡みついているその光景はあまりに煽情的で、鉄壁の理性さえも突き崩そうとする。けれどハジはまだ敢えて小夜の従者であろうと頑なだった。
まだ虚ろな目の前に差し出された白い首筋。本能の赴くまま小夜はその首筋に細い腕をまわし、牙をたてた。プチっと肉を穿つ小さな音がしたかと思うと、続いて聞こえてきたのはゴクゴクと嚥下する音。
とろんっとした虚ろな瞳は、甘美な液体が喉を通るたび、次第に輝きを持ち始め、やがて首に回した腕にゆっくりと力を込める。懐かしいその感触に答えるようにハジも小さな身体を抱きしめた。
やがてそっと名残惜しげに牙が放された。未だ焦点の合わない瞳に飛び込んできた蒼色。ピントを合わせるように、その蒼をじっと凝視する。
見覚えのある黒衣と蒼色の瞳。待ち続けたその想いが叶ったのだろうか…。それは眠りに就くその瞬間まで、いや眠りの中でもひたすら探し求めた、自分だけを見つめる蒼い瞳だろうか。確かめずにいられない。
「ハ…ジ…?」
躊躇いがちに呟かれた声は、どことなしか舌足らずで幼さを感じさせはしたものの、待ち焦がれた少女の声に間違いなく…。堰きとめていた想いを開放することはあまりに造作のないことで、常よりはいくらか短くなった眠りとはいえ久方ぶりの再会は、ハジから冷静さを奪い去ることも容易いことだった。
「小夜っ。」
一番素直に行動したのは唇だった。
頬に息が吹きかかるほどの距離で愛しい名を呼んだ。片腕は小夜の細い括れた腰を強く抱き、もう片方は長い黒髪に愛おしげに指をからめ、何度も何度も撫で梳く。そしてその背を折るようにしてふっくらとした唇を塞ぐ。ハジの口付けは唇だけに留まらず、額に頬に耳朶に、優しいキスを数え切れないほど落としてゆく
ようやくピントの合い始めた瞳と徐々に覚醒しつつある意識は、ハジの姿を涙で滲ませてしまうから、もう二度と離さないようにと想いを込めてハジの首に手をまわして小夜は必死にしがみつく。
「ハジっ。…ハジっ。やっと…やっと、会えた…。」
それ以上言葉にならず、ただ溢れる涙と震える身体で懸命に想いを伝えた。
二人いったいどれほどの時間をそうして抱きしめあっていたのか…石室の入り口から入る光は、淡く青白い月光へと変わっていた。
心地い静寂が二人を包みこもうとした矢先ハジが口を開いた。
「小夜、皆が貴女の目覚めを待っています。」
小夜の温もりをその胸に抱えながら、ハジはそう告げた。
「みん…な?」
不安を露呈させるその声音。ハジは小夜を抱きしめていた腕の力をほんの少しだけ緩めると、小夜に笑みを見せた。
「ええ、みんな…ですよ。」
すっかり焦点の合った瞳で久方ぶりに見るハジの笑みに、ドキッと胸の鼓動は激しく脈打つけれど、今はそれより気になることがあった。
「…カイ…も?」
ハジは小夜の杞憂などとって足らぬことと知らせるように、先刻見せたものより優しさを乗せた笑みを小夜に向けた。
「もちろんです。私は、カイの許しがなければ、ここに入ることさえできなかったのです。」
まだ完全に目覚めていない頭脳でも思い当たる。ここは宮城家の墓。ハジが、たとえ小夜の恋人であったとしてもむやみやたらに立ち入って良い場所ではないはずだ。ということは自分が眠っている間に、ハジとカイには接点があったということなのか。そうならばどれほど嬉しいことか…。始祖翼手の血に縛られたハジが、接触すら拒んでいた人間達の営みの中に身を置いていたのだとしたら…小夜とハジ、二人の未来に新たな展望を見つけ出せるかもしれない。
「これからは戦いのない平和な世界が貴女を待っています。貴女の笑顔が健やかなものであるよう、私は私のすべてをかけて貴女の明日を護ります。」
― あぁ。この人の愛はなんて深く、果てしないほど優しく私を包み込むのか。
今、自分を抱くこの優しい温もりが永劫に変わることなく自分を包んでくれることを願って、石室を後にした。
OMOROに着いた時には、すっかり夜の帳が落ちたころだった。
道すがらハジは小夜の質問攻めにあった。眠りに就く前は妊娠中であったジュリアのこと。そしてその子供のこと。ルルゥのこと。小夜がひとりひとりの顔を思い返しながら尋ねるたび、ハジは一つ一つ丁寧に応えてゆく。そしてカイのことに話が及んだ時、ハジは小夜の反応を楽しむようにわざと口を濁した。
しばらくの沈黙の後、ようやく知らされたカイの結婚。そしてその相手は親友の香里であるという。
どんなにカイが望もうとも自分とカイとでは時の流れる速度が違い過ぎる。ともに歩んでゆくことなど不可能なことだ。そのことはカイも勿論知っていることで、その上で今も小夜の目覚めを独りで待ち続けていたとしたらそれはもう悲劇としかいいようがない。カイには絶対に幸せになってほしい…それは祈りにも似た願い。
そのカイが伴侶として選んだ相手が香里なら、喜びは何倍にも膨れ上がる。小夜は知っていた、香里の思い人がカイであることを。だからこそ余計に二人の結婚は心温かくなるほど嬉しい知らせだった。
「片思いが実って良かったねって、香里に言ってあげなきゃ…ね。」
― 早く会いたい…。カイに…。そして香里にはおめでとうを言って、いっぱい心配かけたねって謝らなきゃ…。
「お二人の間には高校生と中学生のお嬢さんと小学生の男の子がいます。今、貴女が身につけている服は彼女たち三人が見立ててくれたものです。みんな、あなたと会えることを、それはそれは楽しみにしています。」
香里らしい…と思った。薄いピンクのサマードレス。ホルダーネック、ふんわりと広がった裾は少しだけ短めの丈。
― 私の好み、まだ覚えていてくれたんだね。
目頭が急激に熱を持つ。
「とてもよく似合っていますよ。」
額に一つ優しく口づけてそう言ってくれた人。
ほかの誰よりも一番幸せになってほしいと願ってやまない人。火照る頬を胸に預けて小夜はそっと目を閉じた。
― いつか私もハジと…。
そう願ったのはいつのことだったか。時間の挟間に置き忘れた、あれはもう遠い過去の夢。できることならば戻りたい、幸せなあの時間に。
悪い癖が思いきり出てる…けど書いてる時はすごく楽しいんですよね。
留まることを知らない妄想が独りで突っ走り始めた、その瞬間を今でも克明に覚えています。
次、小夜が目覚めた時はこんな感じならいいな…っていう個人的な希望満載なんですが、
申し訳ありません。このままの勢いで走りぬきます。
あっ、UPのスピードのことではなくて…中身のことなんですが…。
こんな拙作でよろしければ、この後もお付き合いくださいませ。
お目汚し、失礼致しました。