【4】
「小夜、お帰り。」
店のドアを開けた途端迎えてくれたのは、カイの明るい声だった。あの頃より幾分渋みの加わった声。あの頃どちらかといえばやんちゃだった面影はそのままに、男としての艶が加わった顔。血は繋がっていないのに、今目の前に見えるカイは、優しかった義父ジョージを彷彿とさせる。そしてもう一人…あの頃のままの笑顔で迎えてくれた、香里。懐かしさに胸がギュっと締めつけられる。
「…小夜ぁ…会いたかった。…いっぱい心配したんだからぁ、ほんとにいっぱい心配したんだからね。何にも云わないでいなくなって…。でも…でもお帰り、小夜。」
確かにその顔は明らかに高校生の頃の香里とは違っていたけれど面影は随所に残っていて。紛うことなく彼女はかけがえのない友で、思い返せばたった1年ちょっとの高校生活は楽しいことばかりだった。それは香里がいつも一緒にいてくれたからだと思う。その昔友と呼べる存在はハジただ独りだった。そんな小夜にとって、香里は唯一無二の親友に違いないのだから。
「…香里。いっぱい心配かけて、ごめんね。それからこんな…私を待っててくれて、ありがとう。それからこの服も。それから結婚おめでとう。…すごいね、3人のお母さんだなんて。ハジから聞いてびっくりしちゃったよ。」
ありきたりな味気ない言葉しか浮かばない。もっと話したいことはいっぱいあるのに、何から話せばいいのか、そんなことを考える余裕などあるはずもなく、再会の喜びで胸がいっぱいで、小夜は心に湧き上がる想いを思いつくまま言葉にした。
「違うよ、小夜。私の子供は3人じゃなくて5人なんだよ。小夜のかわいい姪っ子たち。あの子たちも私の子供だと思ってるよ。」
自分の台詞にびっくりしている小夜を横目でちらっと見て、香里は語った。
OMOROでパーティが開かれたあの晩、またも当然いなくなった小夜のことを泣きながら問いただしたものの要領を得る応えをもらうことはできなかった。カイの様子から簡単に口に出して言えるような話ではないと悟り、それでもカイがすべてを話してくれる日を根気よく待ち続けた。
「いつの間にかOMOROを手伝っててね、双子ちゃんたちの世話もしたりして、ここが私の居場所になってたんだ。とにかく独りで頑張ってるカイ先輩を助けてあげたかった。」
カイを支えているつもりがいつの間にかカイに支えられていることに気づいた。献身的に尽くしてくれる香里に少しづつではあるがカイの心も解れていった。そして小夜が眠りについてから5年ほどたったある日、互いがかけがえのない存在であることを確かめ合ったその日、小夜が背負ってきたものや歩んできた道、リクとジョージの死、双子のこと。すべてをカイは香里に包み隠さず話した、と。
それは初めのうち到底信じられるものではなかった、と香里は言う。しかしカイがひとりで頑張ってきた姿を思いだし、カイの語った途方もない話が絵空事ではなく真実と認めざるを得なかった。プロポーズは香里からだったという。小夜の帰りを家族として一緒に待ってもいいですか…と。答えは即答で、頼む、という一言、あまりにもカイらしい。
「ほら小夜、ものすごい寂しがり屋じゃない。一人でもたくさんの人が待っててあげたほうが喜ぶと思って。それに私、ずっとカイ先輩のこと好きだったし…。」
胸を温かくする親友の言葉。
「香里…ありがとう。香里が友達で、カイの奥さんで、ホントに良かった。」
香里の話はそれだけで終わらない。すでに容貌は高校生とはほど遠くても、小夜の前では香里はひとりの女の子に変わっていた。学校の帰り道、他愛もない会話を楽しんでいた、心はまるであの頃のよう。
小夜が眠っていた日々の、カイのこと、自身のこと、そしてハジのこと。特に、ハジは自らのことをほとんど口にしないため、香里から聞くハジの姿は興味深かった。
ハジは、小夜が眠りについてしばらくたった頃、ふらりとOMOROを訪ねてきて、小夜が眠ったことを知ると足早に立ち去ろうとしたという。そんなハジをカイが引き止め、何かと理由をつけては人と接する機会を作り、挙句の果てOMOROの従業員に仕立てあげてしまった。
「小夜は俺の家族だ。だからここに帰ってくる。ならお前の帰る家もこのOMOROだ。小夜の帰る場所がお前のいる場所なんだ。ようはお前も俺の家族ってことだ。どこに行こうとお前の自由だけど、必ずここに帰って来い。分かったか?」
カイにこう言われた時のハジの顔を小夜に見せたかったと香里は言う。驚きに見開かれた二つの薄青の瞳はやがてすっと細められ、口元には微かに静かな喜びを浮かべていたのだと。
「小夜には悪いなって思ったんだけど、ハジさんて、ハッとするほどかっこよくて、実はね、ハジさん目当てで若い女性の常連さんもついて、うち結構繁盛してるんだ。あっこれ、お父さんには内緒だよ、理由が面白くないんだって…。」
と軽く付け加えるのを忘れはしなかった。
双子のことはカイが話してくれた。
高校卒業まではこのOMOROで暮らし、いつまでも容姿が変わらないことに疑問を抱く者が出ないうちにと、今はフランスのジョエルのもとに身を寄せているという。2人はそれはそれは仲の良い姉妹で、やがて生まれたカイと香里の子供と心身共に健やかに育った、と。
香里に小夜の事を話したその時、ちょうど良い機会だからとカイは双子にも同席させたという。まだ幼く頑是ない子供には難しすぎるはずのその話を、双子は真剣に聞いていたという。自分たちが人ではないという事実にしばらくはショックで声も出ない様子だったが、そんな状態がいつまでも続くことはなかった。
「カイ、ぜんぶはなしてくれてありがとう、ね。」
そういうのが精いっぱいだったのだろうが、4つの瞳にはほんの僅かな陰りも見えなかった、とカイはその時を思い出しながら話を続ける。
フランスに発つその朝。
「私たちをこの世に生みだしてくれたお母さんに感謝してる。そしてこの命を守ってくれたおばさまにも。でも、まだ小さかった私たちに、ごまかそうと思えばいくらでもできたのにすべてを隠さず話してくれたカイと、すべて承知の上で自分の本当の子供と同じように育ててくれた香里に、一番にありがとうって言いたい。二人がいてくれたから、私たちは人とは違う自分の命をすんなりと受け入れることができた。二人の子供でよかったって心から思う。」
カイはその朝の二人の言葉を思い出しながら、二人がどれほど心優しく育ったかを訥と小夜に語る。
「おばさまが目覚めたら伝えてほしいの。おばさまが罪を背負ってくれたから私たちはこの平和な時を生きていられる。おばさまは私たちの命を守ってくれただけじゃなくて、私たちの未来も守ってくれた。感謝してもしきれないくらい。私たちは今、ものすごく幸せ。たくさんの人から愛されて大切にされて。だから今度はおばさまが幸せになる番だよ。カイや香里に心配かけたりしたら私たちが許さないからねって絶対伝えてね。」
語り終わって、俺の自慢の娘だ、どうだ?と言わんばかりにカイは顔を綻ばせた。
小夜は何も言えなかった。あの時双子たちをこの手にかけなくて良かったという心からの安堵が胸を満たす。そしてその選択をさせたハジの言葉が脳裏に鮮やかに蘇る。
『 生きてください。』
ハジが瓦礫に消えたあの瞬間から、ずっと抱いていた不安。生きると決めたあの決意は本当に正しかったのか、今でも思いは搔き乱れるそうになる。ハジは、皆が私の目覚めを待っていたと言ったけれど、その中にもし双子が含まれていなかったら…私は彼女たちにどう償えばいいのだろうか…。
でも、すべてが小夜の気の回し過ぎだったということなのだろう、か。
瞳からは滔々と涙があふれ出て頬をすべり、床を濡らす。声を押し殺し、肩を震わせる小さな身体。
― 哀しいからじゃない、嬉しくて嬉しくて、なのに涙が止まらない。
見かねたハジがそっと細い指先で涙を拭い、これ以上ないほど労わりと優しさを含んだ声音で名を呼んだ。
「小夜。」
見上げるハジの瞳はあの頃よりも一層透明感を増したようで、どこまでも吸い込まれてゆきそうで、心の奥に閉ざした想いさえ開放されてゆく。
「ハジ!私、本当に生きててもいいの?ディーヴァを殺めた私の罪は決して消えたりしない。でもあの子達が、私の罪を赦してくれるというのなら…私、生きたい。みんなと一緒に生きていきたい!」
腕に縋りつき泣き崩れる身体をハジが抱きとめた。
「小夜。貴女が償わなければならない罪など本当は一つだってないのです。私は、カイや香里のすぐそばで奏と響を見てきました。彼女たちは貴女のことを慕っています。その心には憎しみや恨みの感情のかけらなど微塵もありません。もう何も不安に思うことなどないのです。貴女は人を傷つけたくないという思いが強くて、すべてを自分ひとりで抱え込んでしまう癖があります。それは貴女の優しさでもありますが、お願いですからもっと自分を大切にしてください。心穏やかに生きてください。そして、どうか笑顔を忘れないで。」
少しお説教じみた物言いは動物園のころのハジを彷彿とさせて、涙でぐちゃぐちゃになった顔だけど、思わずクスッと小さな笑みが生まれた。
傍らで小夜とハジのやり取りを見ていたカイが、割り込むように口をはさんだ。
「なぁ小夜。泣いてるお前をただ見てるだけしかできなかった不器用なこの男の気持ち、考えたことあるか?あの日こいつがどんな思いで笑顔が欲しかったと語ったか、今のお前なら分かるはずだ。こいつの望みはな、お前の幸せなんだ。お前の幸せだけを祈ってるんだ。小夜、こいつのためにいっつも笑ってろ。ついでに素直に幸せになれ。それですべて丸く収まるんだ。いいな?」
少しごつごつした大きな手で髪をクシャクシャに撫でられた。そのしぐさは眠りに就く前の記憶と寸分も違わない。
「カイ、いつの間にかハジの味方になったんだね。」
言われたとおり極力努力して笑顔で応える。
「ハジ、OMORO従業員のお前に業務命令だ。今度の休み、小夜をどっかに連れて行ってやれ!わかったな。」
あまりのつっけんどんなカイの言い様にその場にいた誰もが顔を見合せ、そして声を出して笑った。やっぱりOMOROは辛気臭いのは似合わない、小夜はつくづくそう思った。
どう考えてもあのカイがたった独りで双子を育てていくなんて絶対無理だと思うんです。
ジュリアや赤い盾の面々がいろんな立場から助けてくれるとは思いますが、
日々の生活となるとやっぱりカイ独りでは大変でしょう、きっと。
そんなことを考えていてこの章は思いつきました。
双子を人として育てていくなら、やっぱり普通の温かな家庭を築くのが一番で、
そんなカイのお相手として香里以外は思い浮かびませんでした。
香里なら小夜の目覚めを待ちながら、双子を実子と分隔てなく育ててくれるんではないかと。
そんな温かな家庭で育った双子が、
小夜に対してよりもカイ夫婦のほうに親愛の情を抱いているなんて、
ある意味、より人間らしく当然のような気がしたんですけど…。
いかがでしょうか?妄想炸裂ですね。
駄文にお付き合いくださいましたこと、心より感謝いたします。